2009年7月30日木曜日

7/30 Today 幸田露伴が死ぬ(1947)

幸田露伴 - Wikipedia: "幸田 露伴(こうだ ろはん、慶応3年7月23日(1867年8月22日) - 昭和22年(1947年)7月30日)は、日本の小説家。慶応3年(1867年)7月23日、江戸下谷三枚橋横町(現・東京都台東区)に、四男として生を受ける。父は幕臣の幸田利三(成延)で、母は猷。幸田家は江戸時代、大名の取次を職とする表御坊主衆であった。

『風流仏』で評価され、『五重塔』『運命』などの作品で文壇での地位を確立。尾崎紅葉とともに紅露時代と呼ばれる時代を築いた。擬古典主義の代表的作家で、また漢文学・日本古典や諸宗教にも通じ、多くの随筆や史伝のほか、『芭蕉七部集評釈』などの古典研究などを残した。

昭和12年(1937年)4月28日には第1回文化勲章を授与され、帝国芸術院会員となる。昭和22年(1947年)7月30日、戦後移り住んだ千葉県市川市において、81歳で没。墓所は池上本門寺。戒名は、露伴居士。

娘文は、露伴の生前から父に関する随筆を書き注目を集め、没後に小説も書き始め作家となった 。一人娘青木玉も随筆家、またその子青木奈緒はドイツ文学畑のエッセイストである。"


葬儀の日、東京の家を失い、露伴と同じ市川に逃れていた永井荷風は、葬儀にふさわしい礼服を持っていなかったからといって、式場から離れた路上で露伴に最後の敬意を表した。露伴の文章はそれほどすごかった。

でも、娘たちが書く父親露伴の実際の姿は少し違った。家の掃除の方法(はたきのかけ方など)に異常なまでにうるさかったという。これは露伴が江戸幕府の茶坊主の息子として生まれたことから来ているDNA的な本能だったのだろう。茶坊主にとって大切なのは本質ではなく、あくまでもプロセデュアーだったのである。

江戸時代のサムライ社会は無数のこんな人物を生み出した。なにもしなくても食っていける階級が、やることがないので暇つぶしのために、どうでもいいことに時間を掛けて異常な熱意を示した。

現代社会は、こんな社会に逆戻りしつつあるように見える。社会に肥大した公務員階級は、いまや「身分化」している。なにもしないでもお給料は保証されるのだが、それでは気が引けるのだろう。なにかをやっていることを社会に示すために、余計な不必要な仕事をつくり出して、それを国民に押しつけ、世の中をルールだらけのより不便な社会にする。神奈川県ではタバコを楽しめなくなってしまった。

ああいう輩はなにもしないで寝ていてくれるのが一番なのである(払う公務員給与ぐらいは必要悪だ)。民主党の農家への所得保証も同じ意味合いを持っている。お金をやるからなにもしないでいて欲しい、その方がよほど世のため人のためだというもの。それを率直に言うと、身も蓋もなくなるので、歯切れが悪くなってしまう。だから自民党農水族などから突っ込まれてしまうのだ。

4 件のコメント:

Jun さんのコメント...

>民主党の農家への所得保証も同じ意味合
>いを持っている。お金をやるからなにも
>しないでいて欲しい、その方がよほど世の
>ため人のためだというもの。

投資家のジム・ロジャースによると、アメリカの砂糖農家は現在5000戸で、そこに年50億ドル(一戸当たり100万ドル)の補助金が出ているそうです。EU内も保護主義で砂糖は国際価格の2~3倍出して買わなきゃならないそうな。氏も、そういう経済的に馬鹿げた政策を辞めさせるために、その農家に対して、一生砂糖を栽培しない代わりに死ぬまで毎年10万ドルと、高級車と高級住宅をくれてやれ、とのこと。まあ、現実的・政治的にはそれしか方法がないでしょうね・・・。個人的には日本はまず小麦だけでもいいから、馬鹿げた関税を辞めてもらいたいです。

Unknown さんのコメント...

食糧安保論というのがありますが、それを考えるなら軍事力を増強することです。第二次大戦中、フランスは、農業大国であるにもかかわらず、ドイツ占領軍の食料徴発のために国民が餓えてしまった。自給率なんかいくら高めても占領されてしまえば国民は飢えるという例。逆もまた真なりで、日本人は戦争中は結構いいものを食べてました(餓えたのは戦後)。

まあフランスは酒もなくなってしまったおかげで戦争中の肝硬変死亡率が激減しました。いまのニッポン人も食い過ぎ。どっちに転んでもメタボがなくなるのもいいかも知れない。

冬水 さんのコメント...

 民主は、票の一本釣りをしているわけだ。直接補償というのは、そういう意味。この場合、大規模農家は減反に参加せず、規模を拡大すればよい。だから、米価は下がる。
 自民は、農家ではなく農協の味方だから、米価を維持しようとする。下がれば、農協の手数料にひびき、農協がコケル。だから、大規模にも、減反に参加させる。自民は農協単位で票に投網をふるわけだ。
 で、自民方式だと、都会の市民は、高い米を買うことになる。
 一本釣りか、投網か、どちらが勝つか?オイラは、一本釣りの時代だと思うけど。

Unknown さんのコメント...

>自民方式だと、都会の市民は、高い米を買うことになる。

そうなんですよ。国民が安い米を買えるようになれば、それで節約できた費用で農家への直接補償にかかるお金なんかはいくらでも捻出できる。トータルでは国民経済的に有利になる。でも、ニッポンには算数が出来ない人が多すぎるのが問題。とくに原理主義に凝り固まった利権集団や頭の固いオバさん連中がそう。